昨日、歌手の藤圭子自殺の報道が流れました。
私とは同い年。誕生日も一日違い。
東京での学生時代、学校にはホールがあり、東京12チャンネルの歌番組やトーク番組などが開催されていました。
私は友人に誘われ、その楽屋の準備や清掃のバイトをしていました。
短時間の仕事で、時給も良いその仕事は人気のバイトでした。
お蔭で当時人気の多くの芸能人の方にお会いすることができました。
楽屋というのは、素顔の見える所で、様々な方達の素顔、人間性、会話を耳にしたものです。
そんな中に藤圭子さんの姿もありました。
前川清さんも一緒でした。
まだ、結婚の噂も知られていないときでしたが、楽屋外の廊下で二人一緒でした。
言葉を交わすでもなく、所在無く一緒にいるという不思議な空気が二人を包んでいました。
博多人形のように目鼻立ちがしっかりとしていて、芯のある女性に見えました。
同い年というのは知っていましたが、社会人として自立している人との間には、くっきりと大きな格差があることを感じたことを覚えています。
そんな一度だけの出会いを思い出しながら、複雑な感情に襲われています。
寂しかったのでしょうか。
行き場を失われたのでしょうか。
虚しかったのでしょうか。
身体がつらかったのでしょうか。
何も考えず、ただまっしぐらにベランダに向かわれたのでしょうか。
身体が元気でないと、心も折れてしまいます。
女性には、更年期障害という目には見えない、他人には理解してもらえない障害を乗り越えなくてはいけない時期があります。
もちろん、すべての人にではないのでしょうが・・・・。
心のバランスさえも崩してしまいます。
夫がいても、子供がいても、家族に囲まれていながらも、ふと寂しく感じる事って私にもあります。
私たちの年齢の女性なら、誰でも経験するのではないでしょうか。
もう少し、老いれば諦めもつくかも知れないけれど、まだ何かできそうな年齢。
できるのに取り残されていくような寂しさも感じたり。
忙しく何も考えず動き回っている時には思うこともないけれど、ふとゆっくりコーヒーを飲んだりしている時に感じる生きる事への虚しさ。
生まれも育った環境、境遇も違うけれど、同年代を生きた者だけが感じる不思議な共感。身体の一部をもぎとられたほどのショックがありました。
「生きるために生きる」という回答を見つけた若い頃と違う今、私も、今一度、生きる事について深く考えてみようと思います。
藤圭子さん、素敵な歌を歌声をありがとうございました。
どうぞ、安らかに・・・・・ご冥福をお祈りいたします。
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