奈良正食友の会の恒例料理もちよりパーティに行ってきました。

マクロビオティック

今年もワンピースフルワールドの日本代表であり、奈良正食友の会会長でもある大場先生からお誘いいただいて、奈良正食友の会「講演と恒例料理もちよりパーティ」に行ってきました。
今回の講演は、卵巣がんを完治した体験談(主に食事療法について)と言う題目でミナ・ドビッシュさんのお話でした。
ミナ・ドビッシュさんはユーゴスラビアの方で、1987年に卵巣がんになり、久司先生のご指導を受けるため、一家全員がアメリカに渡り、マクロビオティックを実行して、卵巣がんを見事完治されました。その後、マクロビオティックの指導者として活躍されています。トム・クルーズ、マドンナ、ニコール・キッドマンなどの料理指導もなさいました。
講演の後も、皆さんの質問に丁寧にお答えになっている様子に、誠実なお人柄を感じました。
パーティが終わって会場を後にされるときには、涙をお拭きになる場面もありました。ご主人のボスコさんと、ほんとうに楽しんでおいででした。
このブログの後半に、私がメモした公演内容を載せておきます。
恒例のもちより料理は、100種類以上。どのお料理も心のこもったすばらしいものでした。全部を食べることは不可能ですから、目で楽しんだだけのものも多くありました。
誰がご飯類、誰がデザートとか決められているのではないのに、バランスよくご飯類からお野菜、お煮しめ、スープ類、デザート類などなど持ち寄られているのが、不思議でした。
お料理が並んでいる様子は、とてもきれいで壮観でした。
どのお料理もまごごろの伝わる丁寧につくられたものばかりでした。
私は、奥出雲のお煮しめと地元でとれた金柑の甘露煮をだしました。
大阪の友人も誘っていったのですが、とても喜んでくれました。
終わったばかりなのに、また、来年が待ち遠しいほどです。
今年とても残念だったのが、大場先生のお料理「いもだんご」が食べれなかったことです。先生にも「残念だったね」と言われてしまいましたが・・・。
せめて、レシピをリクエストして自分で作ってたべることにします。
準備から何からほんとうに大変だったことでしょう。
奈良正食友の会の皆様、大場先生、奥様、心から楽しめました。
ほんとうにありがとうございました。
来年も楽しみにしております・・・・鬼に笑われそうですが・・・(笑)
以下は、ミナ・ドビッシュさんの講演内容です。
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ユーゴスラビアで、TV、ラジオのキャスターであり、言語学者でもありました。
卵巣がんになってアメリカへ家族で渡りました。
今日が卵巣がんが治って22年目の日です。
アメリカで出版した「My Beautiful Life」の日本語訳の本が、この秋、講談社から出版されます。
私は、マクロビオティックについて知りませんでした。今より45Kgも太っていました。不健康で不幸でした。すばらしい家族、仕事、家に恵まれていましたが、完全に健康ではなく幸せではありませんでした。
人生が変ることは不思議なことです。考え方が病気に追い込む考え方でした。自分のキャリア、有名になりたいなどばかり考えて人生の本当の幸せとは何かなどは考えませんでした。
1992年にドキュメンタリー作成中に倒れてしまいました。
インタビュー中なのに病院に運ばれがんが全身に広がっていました。肝臓はグレープフルーツ大に腫れ、卵巣にはこぶし大のがんがありました。リンパにも転移していて2ヵ月の命と宣告されました。夫のボスコは腰が抜けるような状態で、2ヵ月後の葬式の手配もしなくてはなりませんでした。
ボスコは自分の親しい医者に電話をしました。医者だけれども「化学療法を一切受けないように」と指示されました。「それをしてもがんが治ることはない」と言われました。
Drサティラードと言う人が本を書いていたけれど、その本を友人の医者が持参してくれました。Drサティラードは前立腺がんの末期で全身に広がっていたけれど、それを治して25年経っていました。「その人が治っているなら、自分も治る」と信じました。
友人が久司先生に会わせてくれました。11年間報道にかかわっていたけれど、マクロビオティックについては何も知りませんでした。「マクロビオティックって何?」から、「自然と一体になって生きる」という考え方から教わりました。
おもしろいと思うのは、ギリシャに行ったり、アメリカに行ったり、ヨーロッパに行ったりしながら戻ってきた、22年かかって日本にマクロビオティックを連れて来たという気がしています。もともと日本人がしていたことを自分がユーゴスラビアからアメリカに渡ってがんを治し、日本に伝えることになりました。
1年かからずにがんが治りました。久司先生に「がんが治りましたよ」と言われました。「足を見せなさい」と言われ、足を見せました。「緑色が多すぎるね」と言われました。
KIIに行った時に、「緑ですね」と言われました。「今、自分の言うとおりにすれば絶対に治りますよ」と言われました。
ユーゴスラビア時代は、肉、じゃがいも、卵をたくさん食べていました。大根、ごぼう、れんこん、あらめなどの日本食材をどう食べるのか分かりませんでした。
「生きるために食べるのであって、食べるために生きるのではない」と言われました。毎日、チーズ、チーズ、チーズを食べていました。チーズをいつでも食べれるように持ち歩いていました。チーズが卵巣がんの原因になることを後から知りました。
日本の食材が細胞を若返らせるものであることを知りました。煮しめ、納豆など。私のがんは陽性でした。陰性の野菜を食べるように言われました。
海藻類がユーゴスラビアにはなかったので、スーツケース7個分ぐらいアメリカから持って帰りました。
今67歳、昔は高コレステロールと高血圧に悩んでいました。祖父母は100歳近くまで生きて、自分のような病気になることもありませんでした。
久司先生は「一口200回噛みなさい」と言われていました。唾液と混ざることで、すぐに細胞に取り込まれると言われました。すぐにコレステロールも正常になっていきました。
息子も心臓の病気でアイス、チョコが大好きでした。心臓からの血が肺にいって出血して呼吸ができなくなるので、そうならない薬を飲んでいました。11歳6ヶ月ぐらいでした。娘は6歳半でしたが、ヘルニアで悩んでいました。手術もしていました。自分のがんが分かる前、白いパン、バター、甘いものが大好きでした。
3ヵ月後には全員の症状がなくなりました。今は誰も病院に行くことはありません。
医者にかからなくなって講演に歩いています。食事によって7ヶ月後には、すべて流されて無くなりました。自然と共になかったけれど、その後、裸足で歩くようになりました。地のエネルギーを脳に送ります。直接地のエネルギーを脳に送った氣からエネルギーをとっています。
食事を変えることで、考え方、生き方、すべてが変りました。「どうして病気になったか」と聞くと「ストレス」と答える人が多い。私たちは小宇宙の一部で、自然と調和して生きることが大切です。
久司先生が望診(ぼうしん)して「あなたがんが治ったね。病院に行って確かめてください」と言われました。久司先生に太鼓判を押されたとき、嬉しかった。誇りに感じました。台所が薬局でした。食べ物が薬でした。がんになって子供たちも元気になりました。より親密になっていました。家族が・・・・。
最初の1ヶ月は急激に良くなったのではなく排泄によって悪化しましたが、自分は悲観的になりませんでした。
毎朝6時に起きて乾布摩擦をして、導引をし食事の準備をして運動をしました。運動は自転車に乗ったり、裸足で歩きました。便秘がなくなりました。便秘は毒素を身体に溜め込みます。
がんが治ったことが報道されて、家の前に行列ができました。自分が治ったことを理論的に説明できませんでした。
苦しんでいる人達を見て、アメリカに戻って久司先生の元で勉強を始めました。3年間、久司先生の元で勉強しました。
そのお蔭で大場先生の所で息子がホームステイし、日本人の温かさに触れました。ユーゴスラビアに帰ろうとしたとき、ユーゴスラビアで内紛が起こってしまいました。子供たちはサンディエゴなどでそれぞれ活躍して、良い人生を送っています。
こんなお料理を食べていると化粧の必要がなくなりました。
マドンナ、トム・クルーズ、二コール・キッドマンとも親しくしています(現在、料理指導やコンサルティングをしています)。こういう人達はマクロビオティックで美を維持しています。世の中で一番健康なのは日本人です。気になったのは、塩の取り過ぎであることです。アメリカは逆に沢山の人が今も亡くなっています。オバマも菜食だそうです。次回は、ユーゴスラビアのマクロビオティック食を紹介したいです。おいしいですよ。
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こんな会に参加させていただいて、心から感謝の一日でした。
また、たくさんの良い出会いをいただきました。
ほんとうにありがとうございました。

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