小淵沢で催される「故アヴェリーヌ偕子先生を偲ぶ会&マクロビオティック ディナーパーティー」に行くため、明日松江を出発します。
アヴェリーヌ偕子夫人のことを、いよいよ多くの方に知ってもらえるんだなと思うと嬉しいという思いと同時になぜか緊張してきます。
戦後間もない1951年という年に、マクロビオティックの先駆者・桜沢如一先生の命を受け、アメリカに渡り久司道夫先生と結婚、お二人でマクロビオティックが学問としてアメリカで認められるまで力を尽くされた業績は凄いものだということを、ほんとうに多くの方たちに知って欲しいものです。
5人のお子様を育て上げ、世界平和のため、世界中にマクロビオティックの大切さを広めていかれました。
日本の文化、食文化の他にも、生活文化(ふとんの普及)、華道、茶道、能なども紹介されました。
豆腐、味噌、醤油、梅干、漬物などなどの食文化については、もちろんです。
幼い頃からとても利発で活発な方だったそうです。
とにかく勉強は常にトップ、かけっこもトップで町では知らない者がいないほどの優秀さでとびぬけていたそうです。
猪年生まれで、思い立ったら真っ直ぐに進んでいく方だったと地元にいらっしゃる妹さんがよくおっしゃいます。
故郷を離れるにあたっても、沢山のエピソードがあったようです。
アメリカに渡られた後、20年前にも奥出雲に延べ300名近い外人さんをお連れになって、農業体験、文化体験などをされました。外人さんの中には、アフリカのある国の王女様もおいでになったということです。
駅前にある数件の旅館にも外人さんたちが泊まり、その際にはマクロビオティックの食事を頼まれて、玄米食のお料理がでたそうです。
旅館の協力もすばらしく、それはきれいなすばらしいお食事だったということです。
母が元気な頃、その中の一軒の旅館のおじさんがよくおいしい笹寿司や巻き寿司を実家に持ってきてくださったことを思い出します。
母もそうだったように、アヴェリーヌ偕子夫人も幼友達が経営される旅館ですから、きっと強力な協力だったことでしょう。
その頃から奥出雲をクシマクロビオティックの故郷として世界中の方たちに実際をお見せしたかったのではないかなと思います。
現在ご活躍の多くの先生方も、何度も奥出雲においでになっていて、偕子夫人と横田で過ごされたその時のことを懐かしそうにお話くださいます。
小淵沢のパーティの様子は、来週のブログでご紹介いたします。
偕子夫人の夢は同時に久司先生の夢なのだなと、9月に初めて久司先生にお会いして感じました。
久司先生は、「奥出雲は凄い所なんだよ」とよくおっしゃるそうです。
どうぞ、たくさんの皆様、これからの日本が世界が住みやすい、生きやすい地となるよう、その一歩だという認識でご協力をお願いいたします。
アヴェリーヌ偕子夫人の偉業につきましては、おいおいご紹介していきます。
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