キネシオロジーの東出庵に行ってきました。

昨年末から体調を崩してしまい、なかなかぐずぐず治らない状態でした。
14年前(平成9年10月)、私はくも膜下のような症状で救急車で病院に搬送されました。
倒れる前には、経験したことのないような頭痛の予兆がありました。
救急車で運ばれる日の昼休みには、「明日、大学病院に行きたいけど、島根医大、鳥取医大のどちらが良いのかしら」と薬局で薬剤師さんに相談していた夕刻に倒れてしまいました。
スイカが腐って破裂したような、まるで頭がさく裂したような爆痛に襲われ気を失ってしまいました。
陣痛も3回経験していますが、そんな痛さなどおよびではない激痛でした。
たまたま帰宅した息子に「お父さんに知らせて!!」と頼んむことができたため、また、夫が私の予兆を知っていたため直ぐに対応してもらうことができました。
夫が帰宅したときには、ダウンコートを着込み、羽毛布団を2枚掛け、エアコンがガンガンかかっていたそうです。
とにかく寒かったのでしょう。
病院では、CTから出た時に気がつきました。
CTもMIRも撮り、髄液検査も受けましたが、異常はなく原因不明のまま入院を続けました。
入院後、4日目、お風呂の許可がでたため入浴に行きましたが、直ぐにまたあの痛みのきそうな予兆があったため、お風呂はそこそこにベッドに戻りました。
そこで、またあの頭痛が再来したのです。
主治医は腕組みをしながら、「原因がわからないからなー」と痛み止めの座薬処置のみを指示されていました。
看護師さんの「先生、血圧が200以上です!!」と叫ばれていたのを聞きながら私の意識は薄れました。
次に気がついたときには、2度目の痛み止めの座薬処置をされるときでした。
まだセカンドオピニオンという言葉も使われていないときでした。
私の兄が心配して、大学病院の教授の先生を紹介してくれて検査を受けましたが、やっぱり原因不明のまま、「頭が痛くなったらセデス(市販薬)を飲むように」という処方箋をいただきました。
「えっ!! セデス!!」、「私の身体は自分で守るしかないんだ」と実感した瞬間でした。
それからの私の生き方は、大きく変わりました。
生かされているという思いも強くなりました。
その後、民間療法に頼り、あらゆることを試して、そして学んできました。
サプリメントも色々飲んでみました。
そんな中、私を救ってくださったのが、東出庵のキネシオロジーという治療でした。
最初は週に3回ぐらいのペースで通い、一年半ぐらいで元気を取り戻すことができました。
昨年末来、あの爆痛の予兆ほどではないにしても、少し気になる頭痛に恐怖を覚え、東出庵に予約を入れようとしたのですが満杯で治療を受けることができませんでした。
昨年末に予約していた治療を昨日やっと受けることができました。
やっぱり、私には最適な治療でした。氣力がもどってきました。
まだ全開ではないのですが、私には、この治療が一番のようです。
マクロビオティック食も7年続け、7年で60兆の体の細胞が入れかわると聞いていたため、そのときが来ると楽しみにしていたのですが、実はこんな状況が待っていました。
最後のデドックスなのかもしれません・・・・?
マクロビオティック食とセルフリンパマッサージを始めてからは、本当に元気に過ごすことができるようになり、少し油断していたのかもしれません。
それとも、還暦を迎えて身体がそれだけでは追いつかなくなってきたのかもしれません。
今回治療していただいて、今年は、また月一ぐらいのペースで東出庵の家塚先生のお世話になろうと思いました。
ボキボキ、バキバキと痛みを伴うような手荒い治療ではありません。
不思議な感覚を受ける治療です。
お友達の紹介でしたが、こんな風に助けていただける人との出会いがあったことに改めて感謝でした。

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