少し前になりますが、次のようなご案内と一緒にチケットを頂き、安来市にある清水寺に”摩多羅神像”の拝観に友人を誘って行ってきました。
「国重要文化財摩多羅神像 特別公開ご招待券送付のご案内
謹啓 入梅の候、愈々こ潰栄のこととお慶び申し上げますと共に、日頃賜りますご厚情にたいし厚く感謝申し上げます。
さて、今年4月、当寺所蔵の摩多羅神像が国重要文化財の指定を受け、更に摩多羅神への奉納面、4面が島根県指定文化財、4面が附指定となりました。
摩多羅神像、秘神の為、確認できるのは当寺と比叡山延暦寺のみとなっております。
このたび当寺摩多羅神像が最古の作品と認定され、国の指定を受けることになりました。
摩多羅神は芸能の神とも云われ、常行堂後堂で様々な芸能が繰り広げられたと記録されており、その後堂の芸能が、今日の「能」に成ったと語り継がれています。この後堂で演じられた芸能に用いられたと推測される古面、8面が今度、中世・近世のものと認定され、島根県文化財に指定されました。
この慶事を祝い、県文化課のお許しを得て、左記の通り特別公開することと致しました。
公私ともにご多用の折とは存じますがでご参拝、ご拝観賜れば幸甚です。
合掌
平成25年6月5目
瑞光山 清水寺
貫主 清水谷善圭」
木造摩多羅座神像(もくぞうまたらじんざぞう)
神像は、目尻を下げ髭をたくわえ、口からは舌と歯が見えます。
ふくよかな面相に笑みを浮かべ、装束に包まれた身体はあくまで端正さを失わず、袴のゆったりとした膨らみの表現も見事です。
また、神像は左手で鼓を持ち右手で叩いている姿から芸能の神としても信奉されています。
構造はヒノキ材の一木造。像内から嘉暦4年(1329年)に「覚清」によって清水寺の常行堂の摩多羅神像として制作されたことが判明。鎌倉時代の神像彫刻のなかでも秀逸といえる作例です。
摩参羅神は、一般に天台宗寺院等の常行堂などに祀られていることが知られ、この清水寺の神像が国内最古。今回、神像彫刻の重要遺品であることから重要文化財に指定されました。像高53cm。
古能面4面(附:古面4面)
古能面は摩多羅神に対してなされた延年(神事)等に使われた可能性があり、その意味で芸能史上、重要な作品てす。作風は中央の影響が見られるものの地域的な特徴を持つ優品てす。
制作年代は室町末期~江戸初期で、面長はいずれも約20cm。
寺伝では、尼子氏寄贈の析願面とされています。同寺で延年などの芸能が行われていた確証はありませんが、文化11年(1814)の『出雲札所観音霊場記』には「神秘の祭礼を設る」とあり、また昭和43年、住職が当時の山守より聞いた話では、、正月に舞が奉納され、その舞の姿を見てはならないと伝承されていたと伝えられています。
根本堂に伺いチケットを差し出すと、わざわざ友人と私の二人のために摩多羅神像と古能面の詳しい説明をしてくださいました。
摩多羅神像は柔和なお顔で端正な身体つきが印象的でした。昔の人は無駄な脂気のない、本当にすっきりとした身体つきなのだなと再認識しました。
きっと食事が素食で、そんな食事がすっきりとした端正な身体を作っていたのでしょう。
古能面は、現代人よりはるかに小さなお顔でした。
どのお顔もすっきりとしていて、優しさの中にも性根の座った様子が見てとれました。
顔一つからも、昔の人達の生活の厳しさや礼儀正しさが伝わってくるようでした。
どちらも色も残っており、まるで生きている人のようでした。
雨上がりの晴れ間に、40数年ぶりに訪れた清水寺でした。
小学校の遠足の地でもあり、その時の三重の塔のツルツルとした木の階段がいまでも印象に残っています。
そんな三重の塔の印象が強く、他の景色を覚えていませんでしたが、今回ゆっくりと境内を見て回り、その広さ、歴史の深さに改めて驚きを感じました。
境内には、精進料理を食べることができる料亭も数店あり、帰りには友人とご馳走にあやかりました。
これから紅葉の季節に向かい、とても素敵な観光地となります。
お薦めの観光スポットです。
友人と二人、素敵な癒しの時間を頂けたことに心から感謝でした。
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