天国に旅立った伯母に・・・・ありがとう

母の実家の嫁であった伯母が天授全うし、天国に召されました。
5年前から認知症でしたが実の娘に介護され、傍には夫である伯父、息子一家、孫一家が住み、自分の身内皆に看られながら余生を幸せに暮らしていました。
数え年91歳・・・・老衰でした。
家族皆に看とられながら、自宅で最後のときを迎えたということでした。
幼い頃、夏休みといえば母の実家に行くことでした。
母の実家には、母の兄弟姉妹の子供たち、私にとってはいとこ達が5~7人ぐらい泊まりにきていました。
行けば、一週間ぐらいはいたように記憶しています。
祖父母は、「おー、おー、よう来たなー」といつも温かく迎えてくれたものでした。
伯母もいやな顔一つせず、私たちの面倒を見てくれました。
お手伝いも、それぞれ与えられてしたものでしが、昼間は近所のお友達と裏手の神社で遊んだり、斐伊川で泳いだり、楽しい一日を送りました。
祖父母の家の従妹はピアノが上手で、夜はその従妹の伴奏で歌もたくさん歌ったものでした。
伯母のお味噌汁の具は、なすび、たまねぎ、じゃがいも、長ネギの大きくきったものでした・・・・がそれがとっても美味しくて、今でも私の夏のお味噌汁の具の定番になっています。
自分の子供たち、祖父母との生活だけでも大変なのに、よくぞ優しく私たちの面倒も見てくれたものだと思います。
ほんとうにありがとう。
心から感謝してのお別れをしました。
久々に伯父、叔母、そしてたくさんのいとこ達と出会い、お葬式の後の直会では一堂に会して伯母と最後のお別れをしました。
色々な思い出話に花が咲き、伯母を忍んで楽しいと言えば語弊もありますが皆が伯母をいい形で見送れたという直会になりました。
天授全うの死というのは、皆を悲しみから解放し、満足感と感謝で包み、集まった人たちを幸せにするものだと感じました。
絵の上手だった伯母でした。
床の間にはいつもお花が活けてありました。
伯母が活けれなくなってからは伯父がみようみまねで活けては、「花がどうか見て直してくれ」と言われます。
私が京都に住んでいた頃、仕事を終えると池坊文化学院で夜2年間学んだものですから、伯父はそれを知っていて言ってくれるのでしょう。
池坊を学んでいた伯母の花は、伯母の姿に似てすらっと素敵に活けられていました。
母が「死に様は生き様、生き様は死に様だから、良い生き方をしなければいけない」と言っていた言葉が蘇ります。
伯母の幸せな最後は、伯母の素敵な生き様の結果なのでしょう。
認知症になってから会った純真な笑顔を思い出しながら、伯母に心から感謝です。
たくさんのかけがえのない素敵な思い出をたくさん頂き、ありがとうございました。
心から冥福を祈ります。
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