オランダに売られた岩屋時の仁王像 in 奥出雲




奥出雲町(旧、横田町中村)に、かつて現存した岩屋寺の門で仁王立ちしていた仁王像が、今ではオランダ・アムステルダム国立博物館の新設のアジア館の目玉になっているという。
岩屋寺は最近まで復興を願い、地元では多くの方が尽力されたのですが、力及ばず、私物化され、誰も手を出せない状況のようです。
教職を退かれた後、郷土史家として多くの著述を残してくださった高橋一郎先生も、「私も出来得る手を尽くしたのですが、だめでした」と肩を落としていらっしゃいました。
平安時代以降、地元での信仰は厚く、私の母も生まれて母乳を飲まなかったため、祖母が母を連れ一週間岩屋寺に籠り今があると言っていました。
また、姑も子供がぜんそく気味の時、何度もお参りに通ったそうです。
もし、今もそのままの姿があれば、多くの信仰を集め人々の心の支えとなったことでしょう。そう思うだけでも残念です。
開眼供養の様子(朝日新聞DEGITALへ)
私も、いつかオランダ国立博物館でこの仁王像にご対面できるよう願います。
また、ご本尊の十一面観音菩薩様の行方も気になります。
仏教に対する信仰心が薄れた現代、お葬式やお墓の形態もかわりつつありますが、この岩屋寺の様子は今日本全国のあちこちで見られることかも知れません。
日本人が維持できなければ、世界中でクールジャパンと騒がれている今、それを良しとする人たちの手で守ってもらうこともいたしかたないこと。
素晴らしい財産が残ったことを喜ぶべきかもしれません。
以下は、高橋一郎先生の「奥出雲横田とたたら」から、岩屋寺の項の抜粋です。
◆岩屋寺(元・現中村の馬場の金厳山の中腹)◆
平安仏教の特色のひとつ山岳修業場としてこの地に創建された。
横田八幡宮が山麓に移転再興されると、やがて神仏習合思想から、その神宮寺ともなり、武土そして庶民の信仰をあつめ、修験者の修業の場ともなり、中興僧祐円によって寺勢は大いに上り、横田庄の一荘官も兼ねるほどであった。
16世紀に入ると三沢氏が横田庄に入ってその荘官となったころ中興の傑僧快円の登場となり、21坊100余名の僧を抱える奥出雲の霊場となった。
やがて三沢氏の家臣石原氏によって弘法信仰が高まり、庶民の信仰もあつめて今日に至っている。
岩屋寺といえば弘法さんど言われるほど、近国に名を知られた。
中世の記録が多く、横田庄の解明の根本資料となっている。
中世以来奥出雲の真言宗系緒寺の中心となり、近世では松江の千住院の住職となるものも多く、松江藩の相談役として重きをなした。
明治時代半ばよりわが国の革新僧侶として、教育改革も唱えて中央で活躍した雲照律師は、若いころこの寺で修業した。
今も本堂には快円が当時富田(現広瀬)に於いて求めた仏壇などが置かれている。


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