終戦記念日に思うこと

思うこと(店長篇)

終戦記念日・・・思う事・・・

朝からテレビでは、終戦記念日に小泉首相が靖国神社参拝を報じ続けていました。

それぞれの立場で、自分の都合のいいようにいろいろな方がインタビューに応じたり、コメントしたりしていました。

私の父は、職業軍人で満州にいました。

ただ、幸いなのは軍人でも本部の事務方だったので、中国の人に危害を加えたりしていなかったことです(それでも、中国人の方と初めてあったときにはその場に土下座して誤りたい衝動にかられます)。

昭和19年に南方の前線に送られるまで、母との新婚生活を満州で過ごしました。

兄も大連の病院で生まれています。父も母も満州での良い生活は、よく話してくれました。

地平線の見える広大な大地、大きな大きな太陽や、月。そして、中国の人たちのおおらかさなど。

父が前線に送られて、母は終戦を迎える前に日本に兄を連れ無事帰ることができたそうです。

終戦になりロシア参戦になってからは、それはそれは悲惨だったそうです。

子供をトイレに閉じ込め(そんな子供たちが残留孤児と呼ばれる方たちです)、ロシアの軍人のレイプを恐れ、自分は丸坊主なって男装をして帰られた方もいたそうです。

日本へ帰る途中でロシア軍に恐れ飛び降り自殺をされた若い女性もいたそうです。

前線で伝令として出た父は、顔、肺、手に銃弾を受けながら、蛆虫と戦いいざって見方のところに帰ったそうです。

途中、行き絶え絶えの戦友がくれた塩が自分の命を救ってくれたそうです。

戦後生まれの、戦争を知らない世代の私は、無縁の話のようで現実感のない思いで聞いていました。

父は、いつも「戦争だけは、絶対にいけない。死ぬときに「天皇陛下ばんざい」などと叫んで死んでいった戦友は一人もいなかった。

皆、「お母さん」と言って死んでいった。」と言っていました。

そして、昭和天皇がテレビに映られたときは、ほとんど見ることがなかったように記憶しています。

私が学生時代、両親が東京に出てきたときに靖国神社に行きました。

いきさつは忘れましたが、多分、父が連れて行って欲しいと言ったのだと思います。

どんな思いで靖国神社に行ったのか父の亡くなった今では聞き出すことはできません。

まだ、A級戦犯の方が合祀される前でした。合祀された後だったら行ったかどうかもわかりません。

私にも息子が2人いますが、戦場に送り出さなくてはならない状況など想像することさえできません。

また、そんな状況を絶対作ってはいけないと思っています。

昔の女性は、ほんとうに強い心を持っていたのでしょうね。

最近テレビで、過激な発言をする女性がいらっしゃいます。

そんな発言をされる女性の多くは、独身を通した方です。

子を持つ母親なら絶対にできない発言です。

戦争は絶対にいけない。子供を殺されたくもないし、人を殺させたくもありません。

それは、万国共通の母親の思いではないでしょうか。

敵とか見方とかそんなものではありません。

国益とか、国の為とかそんなものでもありません。

ほんとうは、人として絶対にしてはいけないことだと思います。

マクロビオティックが、世界中に広まって、ほんとうに世界平和がきますようにと願わずにはいられない一日でした。


小泉首相の靖国参拝。

「日本の繁栄は戦地で亡くなった方の犠牲の上にある」という発言をよく聞きます。

日本の戦死した軍人の犠牲の上にだけこの繁栄があるのでしょうか。

畑で農作業をしているときに日本に連れてこられ、炭鉱で亡くなったという韓国の方や、日本人が押し寄せていって土地を取られた中国の方たち。

そんな人たちの犠牲はどうでしょう。

終戦記念日は、ほんとうに心が痛みます。

どうぞ、世界中が平和になる日が、いつか必ず訪れますように・・・・

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